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木曽三川の治水史

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(2009:08:22 12:59:27, NIKON D200, F8.0, 1/1000, 0, ISO:100, 12.0 mm(換算18 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC5151.jpg _DSC5159.jpg _DSC5156.jpg _DSC5153.jpg _DSC5161.jpg _DSC5164.jpg _DSC5165.jpg _DSC5167.jpg _DSC5170.jpg

九華公園の揖斐川沿い入船門の上流側の公園。

写真には写っていないが、すぐ正面に治水のために水門統合管理所=蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)があることもあり、この公園には3枚の治水に関する看板が設置されていた。それぞれ江戸時代の宝暦治水、明治の明治治水、そして現代の治水について説明されていた。

看板に太陽が当たる裏側は劣化が激しく一部読めない部分もあった。

 



江戸時代までの治水工事

 濃尾平野の低平地に住んでいた人々は、どのようにして洪水から身を守ろうとしたのでしょうか。

築捨堤(つきすてづつみ)(800年頃~)
木曽三川は、洪水のたびに流れを変えるため、人々は、少し高くなっている自然堤防の上に家を建て、上流側に堤防(築捨堤)を築き、洪水の直撃を避けました。しかし、田畑は、浸水や流れてきた土砂によって度々被害を受けました。

水屋(みずや)(1000年頃~)
母屋より多角石垣を築き、食料などの保管した水屋を建て、洪水の間そこで避難生活しました。また水屋が危なくなるときのために軒下に舟を吊り下げていました。

輪中(わじゅう)(1300~1900年頃)
その後、洪水から村を守り、新田を開発しようとする人々の努力により、堤防が補強され、集落全体を輪のように囲んだ輪中堤ができました。しかし、洪水の度に河床は土砂が堆積して輪中内の地盤より高くなり、田畑の排泄が悪くなったので、田畑の一部をつぶし、その土で高い所(堀田:ほりた)をつくり、そこで耕作を行いました。

御囲堤(おかこいづつみ)(1609年)
徳川幕府は、尾張国(現在の愛知県)への豊臣方西国大名の侵入を防ぐため、犬山から弥富まで12里(約48km)の尾張を囲う大堤防(御囲堤)を築かせました。またこの堤防は、尾張を木曽川の洪水から守るために威力を発揮し、補強が続けられ、要所には本堤と同じ堤防が二重、三重に築かれました。しかし、対岸の美濃国(現在の岐阜県)では、本格的な堤防を築くことを許されなかったため、かつては水害の起きなかった地域にまで水害が広がり、新たに輪中がつくられるようになりました。



本多忠勝の像

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(2009:08:22 12:52:09, NIKON D200, F8.0, 1/200, 0, ISO:100, 12.0 mm(換算18 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC5142.jpg _DSC5144.jpg九華公園の入り口にあった本多忠勝の像。

名前は聞いたことあるものの、それ以上のことはまったく知らない戦国時代に生きた本多忠勝。解説文によると50回も出陣して一度も負けたことがなかったらしい。とことんリスクを嫌って負けそうな場合は闘いを避けていたのかな? 



本多忠勝公の像

 天文17年(1548年)、徳川家の重臣本多忠高の子として三河(愛知県岡崎市)で生まれ、幼名を鍋之助、のち平八郎と称した。
 永禄3年(1560年)、13歳で大高の役に初陣以来、大小五十余の諸合戦に出陣し、ついに一度も負けることなく、一ヶ所の傷をも負わなかった。
 天正18年(1590年)徳川家康公関東入国の時、忠勝公は上総(千葉県)大多喜、十万石を与えられた。
 慶長5年(1600年)、関ヶ原の合戦に従い、戦功により同6年、伊勢桑名十万石に転封された。
 桑名に入郡した忠勝公は、木曽三川や伊勢湾の水運を利用して発展してきた港町を、城を中心にした城下町に造り変えるという大規模な都市再開発事業を断行した。これを「慶長の町割」という。桑名で計画的に町づくりが行われた最初である。
 港町、城下町、宿場町という三機能を合わせ持つ桑名の基盤造りは忠勝公の第一の功績である。
 忠勝公は「徳川四天王」の一人とたたえられ家康公の新任極めて厚く、有能で剛勇の武将であった。
 慶長14年(1609年)到任し、嗣子忠政に家督を譲り、同15年、63歳で没した。
 西岸院殿長誉良信大居士と号し、桑名浄土寺に葬られている。



本多忠勝の像

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(2009:08:22 12:52:24, NIKON D200, F8.0, 1/500, 0, ISO:100, 24.0 mm(換算36 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC5142.jpg _DSC5144.jpg九華公園の入り口にあった本多忠勝の像。

名前は聞いたことあるものの、それ以上のことはまったく知らない戦国時代に生きた本多忠勝。解説文によると50回も出陣して一度も負けたことがなかったらしい。とことんリスクを嫌って負けそうな場合は闘いを避けていたのかな? 



本多忠勝公の像

 天文17年(1548年)、徳川家の重臣本多忠高の子として三河(愛知県岡崎市)で生まれ、幼名を鍋之助、のち平八郎と称した。
 永禄3年(1560年)、13歳で大高の役に初陣以来、大小五十余の諸合戦に出陣し、ついに一度も負けることなく、一ヶ所の傷をも負わなかった。
 天正18年(1590年)徳川家康公関東入国の時、忠勝公は上総(千葉県)大多喜、十万石を与えられた。
 慶長5年(1600年)、関ヶ原の合戦に従い、戦功により同6年、伊勢桑名十万石に転封された。
 桑名に入郡した忠勝公は、木曽三川や伊勢湾の水運を利用して発展してきた港町を、城を中心にした城下町に造り変えるという大規模な都市再開発事業を断行した。これを「慶長の町割」という。桑名で計画的に町づくりが行われた最初である。
 港町、城下町、宿場町という三機能を合わせ持つ桑名の基盤造りは忠勝公の第一の功績である。
 忠勝公は「徳川四天王」の一人とたたえられ家康公の新任極めて厚く、有能で剛勇の武将であった。
 慶長14年(1609年)到任し、嗣子忠政に家督を譲り、同15年、63歳で没した。
 西岸院殿長誉良信大居士と号し、桑名浄土寺に葬られている。



九華公園

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(2009:08:22 12:50:58, NIKON D200, F8.0, 1/320, 0, ISO:100, 12.0 mm(換算18 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC5138.jpg _DSC5140.jpg _DSC5145.jpg 九華公園の入り口にあたる船入橋から見た三之丸堀です。

九華公園は桑名城跡を利用した公園になっています。あまり興味もなかったので本丸跡や天守閣跡などメインの場所は見ていません。

駐車場やトイレ/水道、芝生エリアや日差しを避けれるベンチなどがありゆったりとくつろげるようになっていました。






九華公園

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(2009:08:22 12:51:36, NIKON D200, F8.0, 1/1250, 0, ISO:100, 14.0 mm(換算21 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC5138.jpg _DSC5140.jpg _DSC5145.jpg 九華公園の入り口にあたる船入橋から見た三之丸堀です。

九華公園は桑名城跡を利用した公園になっています。あまり興味もなかったので本丸跡や天守閣跡などメインの場所は見ていません。

駐車場やトイレ/水道、芝生エリアや日差しを避けれるベンチなどがありゆったりとくつろげるようになっていました。



九華公園(きゅうかこうえん)

 昭和3年(1928年)、楽翁公(松平定信の隠居後の号)没後100年祭を記念して、当時の桑名町が桑名城跡の本丸・二之丸一帯を公園として整備しました。
 城にはよく地形や形から別の名前が付くことがありますが、桑名城はその形から「扇城(おうぎじょう)」と呼ばれました。桑名城跡には九華公園という名前が付いていますが、「九華」は、「くわな」と読ませ、江戸時代から使用されていました。これは、中国に九華扇という扇があり、扇城の名と「くわな」の読みにかけて付けられたということです。
 現在の九華公園は8.65ヘクタールあり、桜・つつじ・花菖蒲(はなしょうぶ)などの名所として、市民の憩いの場所となっています。



九華公園

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(2009:08:22 12:53:57, NIKON D200, F8.0, 1/1000, 0, ISO:100, 12.0 mm(換算18 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC5138.jpg _DSC5140.jpg _DSC5145.jpg 九華公園の入り口にあたる船入橋から見た三之丸堀です。

九華公園は桑名城跡を利用した公園になっています。あまり興味もなかったので本丸跡や天守閣跡などメインの場所は見ていません。

駐車場やトイレ/水道、芝生エリアや日差しを避けれるベンチなどがありゆったりとくつろげるようになっていました。



桑名城三之丸御殿(新城)及び桑名紡績工場跡

慶長6年(1601年)、本多忠勝が桑名城主となり、城下町割と共に、本格的な城の建設を行った。本丸の北には新城(三之丸)と呼ばれる一郭が築かれ、城主が住んでいる御殿が設けられた。度々の火災などで建物は取り壊された明治29年(1896年)に新城跡地一帯に桑名紡績工場が建設され、付近の内郭堀は埋められた。桑名紡績は三重紡績・東洋紡績と変わったが、昭和20年(1945年)の空襲により破壊された。新城及び紡績工場跡地の一部は、平成元年に吉之丸コミュニティパークとなった。



潮の引いた運河

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(2009:08:22 12:45:38, NIKON D200, F10.0, 1/180, 0, ISO:100, 13.0 mm(換算19 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC5117.jpg _DSC5133.jpg _DSC5134.jpg揖斐川の七里の渡から伸びる運河です。運河の端から端まで600メートル程度と短く、小船の繋留場所になっています。

ちょうど中潮の干潮だったため潮がよく引き、現れた泥状の干潟にはカニがたくさん歩いていました。またその表面にはシジミがたくさん転がっていますが、、、見えるのはほぼ100%貝殻。生きたシジミは数センチ泥を掘らないと見つかりません。

 

「運河」というと「荷を運ぶための川」という意味になるのかな?この場所はどこかへ伸びているというわけでもなく荷を運ぶには適さないのでいわゆる「運河」ではないのかも?






潮の引いた運河

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(2009:08:22 12:48:40, NIKON D200, F5.6, 1/1250, 0, ISO:400, 300.0 mm(換算450 mm), 70.0-300.0 mm f/4.0-5.6, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC5117.jpg _DSC5133.jpg _DSC5134.jpg揖斐川の七里の渡から伸びる運河です。運河の端から端まで600メートル程度と短く、小船の繋留場所になっています。

ちょうど中潮の干潮だったため潮がよく引き、現れた泥状の干潟にはカニがたくさん歩いていました。またその表面にはシジミがたくさん転がっていますが、、、見えるのはほぼ100%貝殻。生きたシジミは数センチ泥を掘らないと見つかりません。

 

「運河」というと「荷を運ぶための川」という意味になるのかな?この場所はどこかへ伸びているというわけでもなく荷を運ぶには適さないのでいわゆる「運河」ではないのかも?






潮の引いた運河

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(2009:08:22 12:48:50, NIKON D200, F5.6, 1/1000, 0, ISO:400, 300.0 mm(換算450 mm), 70.0-300.0 mm f/4.0-5.6, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC5117.jpg _DSC5133.jpg _DSC5134.jpg揖斐川の七里の渡から伸びる運河です。運河の端から端まで600メートル程度と短く、小船の繋留場所になっています。

ちょうど中潮の干潮だったため潮がよく引き、現れた泥状の干潟にはカニがたくさん歩いていました。またその表面にはシジミがたくさん転がっていますが、、、見えるのはほぼ100%貝殻。生きたシジミは数センチ泥を掘らないと見つかりません。

 

「運河」というと「荷を運ぶための川」という意味になるのかな?この場所はどこかへ伸びているというわけでもなく荷を運ぶには適さないのでいわゆる「運河」ではないのかも?






三重県桑名市のマンホール2種類

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(2009:08:22 12:44:27, NIKON D200, F10.0, 1/200, 0, ISO:100, 24.0 mm(換算36 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC5116.jpg
_DSC5114.jpg

桑名市のマンホールの蓋です。
桑名駅から桑名城跡に歩く途中の歩道にありました。この近くにある「七里の渡」の表示があるのは分かるのですが、、、折り鶴は何なのでしょう?桑名市の名産なのかな?






三重県桑名市のマンホール2種類

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(2009:08:22 12:43:46, NIKON D200, F10.0, 1/250, 0, ISO:100, 24.0 mm(換算36 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC5116.jpg
_DSC5114.jpg

桑名市のマンホールの蓋です。
桑名駅から桑名城跡に歩く途中の歩道にありました。この近くにある「七里の渡」の表示があるのは分かるのですが、、、折り鶴は何なのでしょう?桑名市の名産なのかな?






帰路

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(2008:08:27 16:34:46, NIKON D200, F8.0, 1/250, 0, ISO:200, 24.0 mm(換算36 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


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_DSC9488.jpg _DSC9490.jpg _DSC9494.jpg

湯野浜を出たのが15:30。一番近い駅の羽前大山駅を出る電車は18:05。距離的に間に合うかはぎりぎりのライン。どうかな?と思いつつも出発。せっかく温泉につかって汗をながしたのに汗をかきながら森の中や田んぼ道をJAでトマトを買って食べながら歩きました。結局羽前大山駅に着いたのは18:04。ぎりぎり間に合わず。次の電車で新潟駅まで出て次の日に帰りました。

今回の新潟・山形県旅行では2008年8月17日に新潟県村上市は岩船駅を出発、山形県鶴岡市の羽前大山駅まで歩きました。2008年8月27日までの10泊11日。特に前半は天気が悪く15箇所でしか泳げない旅でした。






帰路

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(2008:08:27 16:37:52, NIKON D200, F9.0, 1/320, 0, ISO:200, 12.0 mm(換算18 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC9488.jpg _DSC9490.jpg _DSC9494.jpg

湯野浜を出たのが15:30。一番近い駅の羽前大山駅を出る電車は18:05。距離的に間に合うかはぎりぎりのライン。どうかな?と思いつつも出発。せっかく温泉につかって汗をながしたのに汗をかきながら森の中や田んぼ道をJAでトマトを買って食べながら歩きました。結局羽前大山駅に着いたのは18:04。ぎりぎり間に合わず。次の電車で新潟駅まで出て次の日に帰りました。

今回の新潟・山形県旅行では2008年8月17日に新潟県村上市は岩船駅を出発、山形県鶴岡市の羽前大山駅まで歩きました。2008年8月27日までの10泊11日。特に前半は天気が悪く15箇所でしか泳げない旅でした。






帰路

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(2008:08:27 17:31:40, NIKON D200, F9.0, 1/320, 0, ISO:200, 24.0 mm(換算36 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC9488.jpg _DSC9490.jpg _DSC9494.jpg

湯野浜を出たのが15:30。一番近い駅の羽前大山駅を出る電車は18:05。距離的に間に合うかはぎりぎりのライン。どうかな?と思いつつも出発。せっかく温泉につかって汗をながしたのに汗をかきながら森の中や田んぼ道をJAでトマトを買って食べながら歩きました。結局羽前大山駅に着いたのは18:04。ぎりぎり間に合わず。次の電車で新潟駅まで出て次の日に帰りました。

今回の新潟・山形県旅行では2008年8月17日に新潟県村上市は岩船駅を出発、山形県鶴岡市の羽前大山駅まで歩きました。2008年8月27日までの10泊11日。特に前半は天気が悪く15箇所でしか泳げない旅でした。






湯の浜温泉散策マップ

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(2008:08:27 15:46:38, NIKON D200, F9.0, 1/320, 0, ISO:200, 12.0 mm(換算18 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC9486.jpg

湯野浜温泉のクリーニング屋に散策マップが置かれていました。手書きのイラストマップで見所や日没時刻、ハイキングコース紹介などが書かれています。






湯の浜温泉のマンホール

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(2008:08:27 15:28:20, NIKON D200, F5.6, 1/125, 0, ISO:200, 12.0 mm(換算18 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC9482.jpg

湯野浜下区公衆浴場の前にあったマンホールです。夕日とカニでしょうか?が描かれていました。






湯野浜温泉(その2)

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(2008:08:27 15:13:11, NIKON D200, F8.0, 1/250, 0, ISO:200, 12.0 mm(換算18 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC9478.jpg _DSC9479.jpg _DSC9480.jpg _DSC9481.jpg

湯野浜温泉の中心地には足湯や飲泉場がありました。温泉はぬるくて飲んでもまずかったです。太陽を避けて足湯にゆったり浸かれます。そしてそこからすぐの場所には鶴岡市湯野浜下区公衆浴場。とりあえずここで温泉につかることにしました。石鹸などは用意されておらず、しかも混雑した場所でした。あまりゆっくりできなかったので、出た後は足湯に使ってこれからどうしようかシンキングタイム。この日の夜にここですごしてさらに北上したかったのですが、、、どうやら仕事の締め切りが目前だったらしく帰ることにしました。






湯野浜温泉(その2)

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(2008:08:27 15:13:14, NIKON D200, F8.0, 1/250, 0, ISO:200, 12.0 mm(換算18 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC9478.jpg _DSC9479.jpg _DSC9480.jpg _DSC9481.jpg

湯野浜温泉の中心地には足湯や飲泉場がありました。温泉はぬるくて飲んでもまずかったです。太陽を避けて足湯にゆったり浸かれます。そしてそこからすぐの場所には鶴岡市湯野浜下区公衆浴場。とりあえずここで温泉につかることにしました。石鹸などは用意されておらず、しかも混雑した場所でした。あまりゆっくりできなかったので、出た後は足湯に使ってこれからどうしようかシンキングタイム。この日の夜にここですごしてさらに北上したかったのですが、、、どうやら仕事の締め切りが目前だったらしく帰ることにしました。






湯野浜温泉(その2)

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(2008:08:27 15:13:22, NIKON D200, F9.0, 1/320, 0, ISO:200, 12.0 mm(換算18 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC9478.jpg _DSC9479.jpg _DSC9480.jpg _DSC9481.jpg

湯野浜温泉の中心地には足湯や飲泉場がありました。温泉はぬるくて飲んでもまずかったです。太陽を避けて足湯にゆったり浸かれます。そしてそこからすぐの場所には鶴岡市湯野浜下区公衆浴場。とりあえずここで温泉につかることにしました。石鹸などは用意されておらず、しかも混雑した場所でした。あまりゆっくりできなかったので、出た後は足湯に使ってこれからどうしようかシンキングタイム。この日の夜にここですごしてさらに北上したかったのですが、、、どうやら仕事の締め切りが目前だったらしく帰ることにしました。






湯野浜温泉(その2)

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(2008:08:27 15:26:41, NIKON D200, F5.0, 1/100, 0, ISO:200, 12.0 mm(換算18 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


(この記事は現在移行作業中のため、他記事と文章が重複している可能性があります。ご了承下さい。)

_DSC9478.jpg _DSC9479.jpg _DSC9480.jpg _DSC9481.jpg

湯野浜温泉の中心地には足湯や飲泉場がありました。温泉はぬるくて飲んでもまずかったです。太陽を避けて足湯にゆったり浸かれます。そしてそこからすぐの場所には鶴岡市湯野浜下区公衆浴場。とりあえずここで温泉につかることにしました。石鹸などは用意されておらず、しかも混雑した場所でした。あまりゆっくりできなかったので、出た後は足湯に使ってこれからどうしようかシンキングタイム。この日の夜にここですごしてさらに北上したかったのですが、、、どうやら仕事の締め切りが目前だったらしく帰ることにしました。






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