浜山プロムナードの記事


御崎橋から少しの所から兵庫運河沿いに綺…

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(2012:05:07 17:11:44, NIKON D800, F10.0, 1/200, 0, ISO:400, 17 mm, AF-S Nikkor 17-35mm f/2.8D, 撮影地, 潮位, 月齢:15.8, 大潮)
カテゴリ: 大阪湾  

御崎橋から少しの所から兵庫運河沿いに綺麗な遊歩道「浜山プロムナード」が整備されていました。


牡蠣が多いからなのか水が結構綺麗でした…

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(2012:05:07 17:12:31, NIKON D800, F10.0, 1/200, 0, ISO:720, 17 mm, AF-S Nikkor 17-35mm f/2.8D, 撮影地, 潮位, 月齢:15.8, 大潮)
カテゴリ: 大阪湾  

牡蠣が多いからなのか水が結構綺麗でした。


綺麗なトイレがありました。夜間は閉鎖さ…

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(2012:05:07 17:13:44, NIKON D800, F10.0, 1/200, 0, ISO:500, 17 mm, AF-S Nikkor 17-35mm f/2.8D, 撮影地, 潮位, 月齢:15.8, 大潮)
カテゴリ: 大阪湾  

綺麗なトイレがありました。夜間は閉鎖されるようです。


監視カメラ作動中

利用時間
夏期(4月~11月) 06:00~20:00
冬期(12月~3月) 07:00~20:00

神戸市みなと総局神戸港管理事務所 078-304-2500
浜山婦人会 鍵開け
浜山レガッタコース管理委員会 キャナルクラブ、村上様担当


遊歩道沿いに看板を発見。

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(2012:05:07 17:14:28, NIKON D800, F10.0, 1/200, 0, ISO:400, 17 mm, AF-S Nikkor 17-35mm f/2.8D, 撮影地, 潮位, 月齢:15.8, 大潮)
カテゴリ: 大阪湾  

遊歩道沿いに看板を発見。


兵庫運河周辺の史跡

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(2012:05:07 17:14:36, NIKON D800, F10.0, 1/200, 0, ISO:400, 20 mm, AF-S Nikkor 17-35mm f/2.8D, 撮影地, 潮位, 月齢:15.8, 大潮)
カテゴリ: 大阪湾  

運河周辺の史跡

清盛塚
「清盛塚」と呼ばれる十三重石塔は、清盛の遺骨が納められているという説があったが、大正12年の調査で墳墓ではないことが明らかになった。市電の道路拡幅工事により現在地に移された。

兵庫大仏
兵庫大仏は、最澄が開いた「能福寺」に、明治24年に兵庫の豪商・南条荘兵衛が寄進したもので、奈良・鎌倉に並ぶ日本三大仏と称された。金属回収令により取り壊され、現在の大仏は平成3年に再建されている。

新川運河プロムナード
平成5年に、市民に親しまれる運河沿いの散策道として、新川運河プロムナードが整備された。市民の憩いの空間として、様々なイベントなどに利用されている。

大輪田橋
大正13年に建設されたアーチ橋で、神戸大空襲、阪神・淡路大震災という2度の被災を経験している。戦災慰霊碑と震災慰霊モニュメントがある。

高松橋
運河口に近い高松橋は、当初回転橋であったが、神戸市電高松線の敷設にあたり、跳開橋に改造された。市電が廃止され、自動車交通が増加するに伴って、現在の形になった。

八尾善四郎像
高松町の高松橋のほとりには、兵庫運河建設の功労者・八尾善四郎の銅像がある。兵庫運河建設工事を指導した人物であり、現在も運河を見渡すように立っている。


おすすめビュースポット
1.新幹線積み下ろし
2.御崎橋より
3.兵庫運河夜景
4.高松橋より


兵庫運河Q&A
Q.兵庫運河にゆかりのある平清盛にとって、縁起の良い魚は?
1.タイ
2.ウナギ
3.スズキ
※このクイズの答えは★印にあります。


A.3
兵庫運河の面積は約34ヘクタールです。
※このクイズの質問は★印にあります。



平清盛と経ヶ島

神戸港は、平安時代には「大輪田泊」と呼ばれていました。大輪田泊は、現在の神戸市兵庫区南部にあったといわれ、南東からの風や波により船に大きな被害を与えることが多かったため、平清盛は、港の前面に人工島を築き、船を守ろうと考えました。こうして完成したのが「経ヶ島」です。
経ヶ島の築造工事は、人柱伝説が生まれるほど、非常に難工事であったと伝えられています。しかしながら、この経ヶ島の築造が、大輪田泊を名実ともに日本一の港とし、のちの兵庫津、ひいては今日の神戸港の繁栄へとつながったのです。
経ヶ島の面積は、43万平方メートルほどもあったと考えられており、これは、ホームズスタジアムの約14倍もの規模になります。残っている資料が少なく、工事の時期や島の位置については、正確にはわかりませんが、着工時期は承安2年(1172年)という説が有力であり、位置は薬仙寺・清盛塚の近辺であったと考えられています。


兵庫運河の生き物たち

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(2012:05:07 17:17:28, NIKON D800, F10.0, 1/200, 0, ISO:450, 32 mm, AF-S Nikkor 17-35mm f/2.8D, 撮影地, 潮位, 月齢:15.8, 大潮)
カテゴリ: 大阪湾  

「イワシ」「カキ」など総称がある反面、ハゼはやたら種類が多かったりする生き物リストがありました。マテガイやホウボウがこんな所にいるということにちょっとびっくり。見てみたいなぁ。


兵庫運河の生き物たち

ボラ、サヨリ、アジ、イワシ、フグ、スズキ、アミメハギ、シマイサキ、チヌ、グレ、マハゼ、アナハゼ、アベハゼ、スジハゼ、ウロハゼ、アサヒアナハゼ、メバル、マコガレイ、ホウボウ、アイナメ、カサゴ、キス、ベラ、テンコチ、ウナギ、アナゴ、ナマコ、アメフラシ、テッポウエビ、スジエビ、スジエビモドキ、ヨコエビ、チチュウカイミドリガニ、イシガニ、ケフサイソガニ、フタバカクガニ、モクズガニ、ガザミ、アラムシロ、アサリ、サルボウ、カガミガイ、ムラサキイガイ、ホソウミニナ、イシダタミ、イボニシ、ウネナシトヤマガイ、カキ、タマキビ、マテガイ、ユビナガホンヤドカリ

イラスト:兵庫県立兵庫工業高校 デザイン科


兵庫運河周辺の史跡

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(2012:05:07 17:21:38, NIKON D800, F10.0, 1/200, 0, ISO:500, 25 mm, AF-S Nikkor 17-35mm f/2.8D, 撮影地, 潮位, 月齢:15.8, 大潮)
カテゴリ: 大阪湾  

運河周辺の史跡

八尾善四郎像
高松町の高松橋のほとりには、兵庫運河建設の功労者・八尾善四郎の銅像がある。兵庫運河建設工事を指導した人物であり、現在も運河を見渡すように立っている。

和田旋回橋
和田旋回橋は、明治32年にJR和田岬線の一部として作られた。現在は固定されているが、わが国に現存する最古の可動橋で、レンガの橋脚などに明治の面影が残っている。

大輪田橋
大正13年に建設されたアーチ橋で、神戸大空襲、阪神・淡路大震災という2度の被災を経験している。戦災慰霊碑と震災慰霊モニュメントがある。

新川運河プロムナード
平成5年に、市民に親しまれる運河沿いの散策道として、新川運河プロムナードが整備された。市民の憩いの空間として、様々なイベントなどに利用されている。

兵庫大仏
兵庫大仏は、最澄が開いた「能福寺」に、明治24年に兵庫の豪商・南条荘兵衛が寄進したもので、奈良・鎌倉に並ぶ日本三大仏と称された。金属回収令により取り壊され、現在の大仏は平成3年に再建されている。

清盛塚
「清盛塚」と呼ばれる十三重石塔は、清盛の遺骨が納められているという説があったが、大正12年の調査で墳墓ではないことが明らかになった。市電の道路拡幅工事により現在地に移された。

高松橋
運河口に近い高松橋は、当初回転橋であったが、神戸市電高松線の敷設にあたり、跳開橋に改造された。市電が廃止され、自動車交通が増加するに伴って、現在の形になった。



兵庫運河の歴史

兵庫運河ができるまで

和田岬の北側あたりの海岸は、かつて「大輪田泊」、「兵庫津」と呼ばれ、古くから貿易が盛んに行われていました。しかし、西から兵庫の港(のちの神戸港)に入る船は、波や風の強い和田岬をまわらなければならず、多くの船が海難事故にあっていました。そこで明治時代に考えられたのが「兵庫運河」でした。これは、船の入港に危険な和田岬を通らずに、岬の西側から直接、兵庫の港に行ける運河を作ろうというものでした。
1893年(明治26年)に「兵庫運河株式会社」が設立され、1896年(明治29年)から新川運河と東尻池の海岸を結ぶ運河を掘る工事に取り組んでいきました。
しかし工事が始まると、井戸の水位が下がったり、海水によって作物が育たなくなるのではないかといった反対意見が出るなど、問題が次々と起こりましたが、1899年(明治32年)にようやく「兵庫運河」が完成しました。また運河を掘ることで生じた土砂を用いて、近くの浅瀬を埋め立ててできたのが「苅藻島」です。
その後、1931年(昭和6年)に苅藻島運河、新湊川運河が完成し、現在ではこれら4つの運河(兵庫運河、新川運河、苅藻島運河、新湊川運河)を総称して「兵庫運河」と呼んでいます。この「兵庫運河」はすい面積約34ヘクタールの日本最大級の運河です。


兵庫運河の役割

明治の頃
「兵庫運河」が完成することによって、船を非難させる場所ができるとともに、船の交通が便利になって兵庫の港に出入りする船が増えました。船の事故が減り、荷物を運ぶ船の出入りが増えることで、運河周辺には工場や倉庫が立ち並び、この地域の発展に大きな役割を果たしました。

その後、運河は木材・食料品などの運搬に利用されるようになり、船の通行に利用されることが少なくなってからは、大規模な貯木場として活用されてきました。

この案内看板も、かつて貯木場に浮かんでいた木材で作られています!

現在
しかし、原木ではなく、加工された木材がコンテナによって輸入されるようになってからは、貯木場としての運河の利用も年々減少して、近年は水上スポーツや地域イベントの場として利用されるなど、運が水面の新たな活用が始まっています。


看板が付けられたこの丸太を半分にしたも…

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(2012:05:07 17:22:00, NIKON D800, F10.0, 1/200, 0, ISO:720, 17 mm, AF-S Nikkor 17-35mm f/2.8D, 撮影地, 潮位, 月齢:15.8, 大潮)
カテゴリ: 大阪湾  

看板が付けられたこの丸太を半分にしたものも、昔はこの兵庫運河の貯木場に浮かんでいたものということ。今は貯木は見当たりませんでした。


材木橋が架かる場所で遊歩道「浜山プロム…

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(2012:05:07 17:23:06, NIKON D800, F10.0, 1/200, 0, ISO:450, 17 mm, AF-S Nikkor 17-35mm f/2.8D, 撮影地, 潮位, 月齢:15.8, 大潮)
カテゴリ: 大阪湾  

材木橋が架かる場所で遊歩道「浜山プロムナード」は終わりました。材木橋からさらに奥へと運河沿いに進む道はありませんでした。


  

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