公民館の記事


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石巻市雄勝公民館の屋根の上に南三陸観…

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(2011:06:19 15:58:17, NIKON D300, F18.0, 1/80, +1, ISO:200, 24.0 mm(換算36 mm), AF-S DX Nikkor 12-24mm F4G, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


石巻市雄勝公民館の屋根の上に南三陸観光バスが取り残されていました。



多比公民館

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(2010:09:17 14:10:01, NIKON D300, F7.1, 1/200, 0, ISO:200, 16.0 mm(換算24 mm), 16.0-85.0 mm f/3.5-5.6, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


地震だ 津波だ すぐ避難!

静浦多比地区

津波は地震発生後約9分以内にやってくる
津波の波高は約8メートルです。

沼津市防災地震課
31-2500



長浜公民館

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(2010:09:18 09:16:02, NIKON D300, F8.0, 1/250, 0, ISO:200, 38.0 mm(換算57 mm), 16.0-85.0 mm f/3.5-5.6, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)





静浦村見取図(多比)

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(2010:09:17 14:09:30, NIKON D300, F8.0, 1/250, 0, ISO:200, 28.0 mm(換算42 mm), 16.0-85.0 mm f/3.5-5.6, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


静岡県
駿東郡
静浦村見取図(多比)


多比の沿革

多比は、戦国時代に古文書に出てくる地名で、古文書や文献には多比のほかに多美・田飛とも書かれている。「駿河地誌稿」「駿河記」「駿河志料」には「多比村」とある。また「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領取調帳」に記載の郷村名は多比村と記されている。多比の地名の由来については、はっきりしたことはわからない。この地が漁猟を業としていた地域であり、朝まじみ、夕まじみに漁の合図に手火(松明)を用いたために地名となったといわれ、また肥は魚肥を意味して田肥となったともいわれるが、いずれも定かでない。
この地は、江浦に接していて、駿河湾が深く入り込んだところで、江浦湾の南面に接した位置にある。江戸時代には駿河国駿東郡内の村の一つであった。当初は幕府直轄領であったが、安永6年(1777年)沼津藩成立に伴い藩領となり、慶応4年(1868年)駿河藩領となった。村高は「元禄郷帳」によると37石余り、「天保郷帳」によると40石余り、「旧高旧領取調帳」では明治5年取調旧高は40石余りとある。明治になり、行政的措置によって明治元年駿河藩に属し、明治2年静岡藩(明治2年駿河藩が改称する)に属し、明治4年静岡県に所属した。明治22年町村制の施行に際し、他の5ヶ村と1つになって静浦村として発足し、多比村は静浦村の大字となった。昭和19年鈴浦村が沼津市と合併したので、多比は沼津市の大字となって現在に至った。


歴史伝説石敢当

多比の地に居住民の存在が確認されたのは縄文期のことで、横穴古墳がその証左であろう。宝亀5年(774年)には、西宮大神宮(現恵比須神社)が創立されている、既に1300年前から多比の村落を形成して漁を主体に暮らしてきた。
当地は、大多比が伊勢神明宮、中条が御嶽神社、古多比が恵比須神社と、3村それぞれ氏神を祭り毎年6月14日から3日間統一した祭典が行われる仕来りであった。海部特有の若衆の角力熱も高く他村よりの遠征組もあって草角力は盛んに行われた。また角力甚句の素晴らしい村だったと言う。角力好きな多比には若衆宿や丁屋には「ちから石」があったが今は発見されていない。この村には、日本的にも珍奇な民俗信仰の石敢当が鎮座している。古老の話によると、この石塔のあった所は、中条の入り口、里道のT路地の辻に海の方を向いて立っていたと言う。明治33年江浦より韮山四日町間県道工事施行に伴い、寺の脇現在地へ移し海の方へ向けて立て直したものだと言う。


多比の石敢当(イシガントウ、セッカントウ、シッカントウ地方によって異なる)

高さ123cm、幅55cm、奥行き70cm、赤身で天城山系玄武岩凡そ1トン、中国前漢元帝時代の著書、急就篇に、石敢当とは向ふところ敵なきなり。石あえて当る意で岩石の持つ堅固な性質が信仰のもとになっている。と伝えまた、後漢の古書には、力士の名と説き、普代の古書には、勇士なりとある。諸説粉々であるが中国は、既に古代からこの民俗信仰が連綿と存続している。
中国本土一円から広東・広西・江蘇地方から台湾に伝承し、沖縄に渡って大いに尊信を受け次第に鹿児島・長崎九州各地へ伝播していったものである。民俗学者柳田国男という人の調査結果によると、日本列島に全部で9基であるとされている。大阪の住吉神社境内に1基、東京に2基、北限の秋田・鶴岡両市とされているが多比の石敢当は含まれていない。東海道宿駅から離れた駿河湾最奥の一寒村に無言の威信を現代に示している多比の「石敢当」は分布上からも実に不思議で感心を深めざるを得ない。

静浦コミュニティ推進委員会



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