磐城飛行場跡記念碑

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(2011:03:30 08:09:44, NIKON D300, F6.3, 1/160, 0, ISO:200, 16 mm(換算24 mm), 16.0-85 mm f/3.5-5.6, 撮影地, 潮位, 月齢:25.3, 若潮)
カテゴリ: 201103東日本大震災  

磐城飛行場跡記念碑

 この地起伏少なき松山に、農家散在す。昭和15年4月国家の至上命令により突如、陸軍で飛行場建設決定、住民11戸移転直ちに着工す。当時、工法はトロッコにスコップで手積み、人力で押し逐次軌道延長整地す。作業人夫は請負業者と郡内外の青年団、消防団、大日本愛国婦人会、学徒一般民等献身的勤労奉仕で半ば強制作業で工事が進められた。この地水源なく志賀秀孝氏の井戸より送水使用す。17年早春、宇都宮飛行学校磐城分校発足。20年2月磐城飛行場特別攻撃教育隊として独立。日夜猛特訓を受け第一線配属若者が、御国のため大空に散華す。20年8月9、10日、米軍空母艦載機の大空襲で施設破壊亦各地方の被害甚大なり。20年8月15日終戦となる。
 その後一部農地開拓す。昭和23年日本国土計画で中部以北塩田化海水陽げ天日式で濃縮、旧長塚駅近くまでパイプで送り製品化す。34年イオン樹脂交換製塩発達のため閉じる。亦塩田以外の地23年旧地主に払い下げ25年植林す。37年東京電力株式会社原子力発電所建設候補地となり39年買収41年本着工現在に至る。思い出大き、この地忘れろるを憂い終戦43回忌に当り大戦で亡くなられた人びとの御冥福と恒久の平和を祈り、兵舎跡地にこの碑を建立す。

昭和63年8月15日

磐城飛行場跡記念碑建立有志会
大熊町長 志賀秀郎

建立発起人代表及び撰文
長者原 杉本正衛
東京電力(株)福島第一原子力発電所所長





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