山崎城跡

|   
(2018:10:02 09:29:33, SONY α7R II, F8.0, 1/200, ISO:100, 24mm, 24-70mm F2.8(SEL2470GM), 撮影地, 潮位, 月齢:22.4, 小潮, 24.7℃, 985.2hPa, 53%)

山崎城跡

大山崎周辺は京都の出入り口にあたり、南北朝内乱や応仁・文明の乱の際、しばしば戦場となった。その際、軍勢が天王山山頂(標高270メートル)に陣取り、城が築かれることも見られた。
天正10年(1582年)6月、山崎の合戦で勝利した羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は、翌7月、山頂に山崎城を築き、大山崎を城下町として保護した。このとき、秀吉は織田信長の後継者を意識し、千利休らと大山崎で茶会を開いた。
しかし、大坂築城が本格化すると天正12年4月に山崎錠は破却された。このとき山崎城の「天主」も取り壊されたといい、高層建築物があったことがわかる。山頂周辺は、字「古城」と呼ばれ、後世も城跡と認識されていた。
現在も天主台、曲輪、土塁、空堀、井戸、食い違い虎口、石垣などが残存する。

平成25年3月

大山崎町教育委員会





前の画像次の画像

  

  • 購読


  • jpcoastcom2@gmail.com