十七烈士の墓

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(2018:10:02 09:04:16, SONY α7R II, F11.0, 1/125, ISO:1250, 70mm, 24-70mm F2.8(SEL2470GM), 撮影地, 潮位, 月齢:22.4, 小潮, 26.7℃, 991.1hPa, 47%)

十七烈士の墓

幕末に蝦夷の先陣をつとめた長州藩が政策の変更のため京都を追われ、文久3年(1863年)8月長州に落ち延びたことがある。いわゆる七郷落である。
筑後の国水天宮の祠官 真木和泉守保臣はじめ諸国の志士らが長州藩の回復運動に同調し元治元年(1864年)7月禁門(蛤御門)警衛の諸藩攻勢に参加した。
これが禁門の変といい蛤御門の戦ともいう。戦は利あらず長藩は退却西下した。真木らは長藩主力の退却を山崎で見送り天王山に登り7月21日討伐軍海津桑名藩の来攻を前に同志17名がこの地で自決した。
遺体は宝積寺三重塔前の地に埋められたが遠近よりの参拝者が多く、香華常に絶えず、これを見に幕府方はその屍を竹林中に移埋した。明治元年(1868年)原位置に改葬し墓碑を建て志士の英魂を弔うため年々墓前に祭祀を営まれた。
大正2年志士の50年祭記念に祭務所を新築されたが、昭和9年室戸台風に倒壊したため、今回100年祭記念として奉賛会によって再建された。

昭和48年10月





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