鯖の道と保坂

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(2015:11:06 09:23:09, NIKON D810, F8.0, 1/180, 0, ISO:64, 20 mm, AF-S Nikkor 20mm f/1.8G, 撮影地, 潮位)
カテゴリ: 201511鯖街道  

鯖の道と保坂

保坂は古代より日本海諸国と畿内を結ぶ輸送路に位置し、多くの人や物がこの地を越えていきました。室町時代には関が置かれ、応仁の乱以降はこの関の権益を巡って、周辺の諸勢力による保坂の争奪が展開されました。今津から保坂を経由して小浜に向かう道が、その距離をとって「九里半街道(約38km)」と呼ばれるのもこの頃です。
江戸時代も中期になると、若狭湾の沖合で能登鯖が豊漁となあり、多数の背持人夫によって京へ運ばれるようになります。鯖は魚の中でも腐敗が速いため、運ぶときは腹を開いて塩をして、夜通しで背負って行ったと言われています。
「鯖街道」と呼ばれる、かつての鯖が運ばれた道は、保坂を経由する以外にも、遠敷から別れて根来坂を経て針畑へ至る針畑越をはじめとして、多くのルートがありましたが、熊川から保坂に出て、朽木谷を通って京に至る道が、沿道整備状況からしても、最も利用されていたと考えられます。
今日でも保坂の道標を起点に中の川を遡ると「小宮さん」と呼ばれる弁天宮や金比羅宮、7年に1度の例祭が催される庚申塚など「鯖の道」を偲ぶ史跡が区民の手によって大切に保存されています。

2001年1月
今津町・保坂区





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