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長浜城跡

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(2010:09:18 09:28:19, NIKON D300, F9.0, 1/320, 0, ISO:200, 16.0 mm(換算24 mm), 16.0-85.0 mm f/3.5-5.6, 撮影地, 周辺ホテル, 潮位)


長浜城跡周辺の道

現在、長浜城跡の南には県道がありますが、明治時代の地図では、長浜川も重須側もその道より北側は海でした。
また、長浜城跡から見て北西にある弁天島も陸続きになっていませんでした。
そのため、他の地域へ行く方法は、船や海岸沿いの道だけではなく、陰野川沿いに山を越えて伊豆半島の中央へ行くなどの山道を利用していました。
コレラの道を、干物などの商品を背負ってお客へ売りに行く行商が、盛んに行き来をしていました。


長浜城跡周辺の海と風景

長浜城跡は、北側にある内浦湾へ突き出た岬の地形を利用した城跡です。
内浦湾は、海底が急に深くなっているので、その地形を利用して、昔から漁業が行われ、ヨットやボートも数多く泊まっています。
ここからは、北側の対岸に千本松原や愛鷹山、さらにその奥には、富士山が見えます。
また、北東側には、淡島、その奥に沼津アルプスの山並みが見えるなど、内浦湾と共に美しい風景を楽しむことができます。


北条(後北条)氏と長浜城

北条氏は戦国時代に活躍した大名で、鎌倉時代にいた北条氏と区別するために、後北条氏とも呼ばれています。
北条氏の祖となる北条早雲は、駿河(静岡県)の今川氏の揉め事を治めたことで、沼津市内根古屋にある興国寺城の城主となりました。そこから相模(神奈川県)へと勢力を広げ、三代目の氏康の頃には関東の西半分まで支配しました。
しかし、五代目にあたる氏直の時代に、甲斐(山梨県)の武田氏が駿河へ攻めてきたので、対抗するために長浜城は築かれました。



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